爵位をもたないライヒスリッターだったラインハルト・フォン・ミューゼルに対し、当時の銀河帝国皇帝フリードリヒ4世が爵位を与えようと断絶していた伯爵家の中からローエングラム家を選んで家督を継がせた。軍人だったラインハルトに対し、武門の名流としても名高かったためローエングラム家が選ばれた。
門閥貴族を忌避していたラインハルトではあったが多くの部下を集めるためには伯爵家の家名が役に立つこと、さらには自分がミューゼル家であることを嫌悪していたことから叙爵に対しては好意的だった。またローエングラムという言葉の響きも気に入っていた。
叙爵に対する門閥貴族の反応
ラインハルトがローエングラム家を継いだのは20歳になってのことだが、話し自体は数年前から決まっていた。フリードリヒ4世がかつての侍従武官だったグリンメルスハウゼンと話している際に初めてその旨を明かし、ラインハルトが成人する日に合わせて準備を進めていた。
しかしこの決定に対しブラウンシュヴァイク公やリッテンハイム候は激しく反発し、特にリッテンハイム候は公の場で公然と皇帝批判を行うなど怒りを露わにしていた(ブラウンシュヴァイク公も皇帝批判に近い内容の発言を行っていた)。
しかしこうした反発にも関わらず決定は覆されず数年後、叙爵が実現することとなった。
ローエングラム伯爵家
ローエングラム家はゴールデンバウム王朝発足時からの名家で歴史上に幾度か登場している。特に流血帝と呼ばれた暴君アウグスト2世に対しエーリッヒ2世が反乱を起こした際にはこれに加担し、アウグスト2世を打倒することに成功した。