アーレ・ハイネセンとともに帝国領を脱出し長征1万光年を敢行した。もともとハイネセンとは親友同士でハイネセンが事故死した後は彼の指示で船団のリーダーを任せられた。航路図の無い1万光年の旅はとても厳しいもので多くの犠牲が出た。バーラト星系にたどり着くまでに指導者ハイネセン以外に20万人以上の人々が命を落とし、長征開始当初40万人いた船団の人口は最終的に16万人にまで減少した。
グエン・キム・ホア自身も長征1万光年の最中に失明した後にようやく居住可能な惑星ハイネセンを発見するに至った。
ハイネセン到達後
ハイネセンに到達した後に樹立された同盟政府では要職には就こうとせず、船団の指導者として名誉職を得るのみに留まった。もちろん彼自身が望めば高位の地位に就くことは可能だったが、失明と高齢を理由にこれを拒んだ。しかし本当の所は民主共和政にあって、正式な国家存続後も一人の人物があまりにも長い間権力の座に居座る危険性を加味してのことだったのではないか。
実際、名誉職にあっても政治的な活動はしばしば行っている。主な例としては国防政策に関して「距離の防壁」という言葉を残しており、この言葉はその後しばらく同盟軍の基本的な国防方針となっていた。
「距離の防壁」とは帝国と同盟が遠く離れているため国防上そのこと自身が強力な防壁となる、という考え方である。帝国側でもマクシミリアン・ヨーゼフ2世の治世で「距離の暴虐」という似たような言葉が使われ、距離の面から軍事行動の非有効性が語られていた。
人物ステータス
- ● 白兵戦
- ● 統率力
- ● 人望
- ● 決断力
- ● 分析力
- ● 権謀術数
4点。もちろんグエン・キム・ホアにも若い頃があったはずだが、作中からはおじいちゃんのイメージしかない。
9点。ハイネセンという強力な指導者を失った後、船団の分裂を防ぎつつバーラト星系に到達させた統率力はハイネセンに匹敵するものだった。
8点。ハイネセン同様、建国の父として後世の人間から敬意を集めている。ただし首都星の名前にもなっているハイネセンと比べると知名度はかなり劣る。
7点。ハイネセンとともに帝国領から脱出しようとしたのは相当勇気のいる決断だっただろう。
8点。自らが長征1万光年を体験しているということもあって、遠征を行う大変さをよく理解していた。グエン・キム・ホアの語った「距離の防壁」という言葉はその後長らく有効な国防方針だった。
4点。国家成立後は政治に関わろうとはしなかった。理由はいくつかあるだろうが、そのうちの一つとして「政争を嫌った」というのもあるのではないか。